2014年8月10日日曜日

台風の恐怖が蘇る

台風11号によるニュースを見ていると、各地の被害状況が報じられる度、子供の頃に経験した伊勢湾台風の恐怖が蘇ってきます。

伊勢湾台風は、昭和34年に伊勢湾沿いに最大風速75m/sで襲った超大型台風で、死者・行方不明者として5000人以上出ました。

当時私は名古屋近郊に住んでいましたが、この台風が我が家の真上を通過し、子供の頃に経験した最大級の恐怖経験でした。

思い出すままにその体験を書いてみますと、

  • 台風が近づくにつれ、強まる風の影響で瓦が飛んだりし始め、その影響で雨漏りが始まるが、雨漏する箇所がどんどん増え、家にあるバケツや容器類を総動員する状況となったが、補えないほどになってしまった。
  • 当時の家は現在のようなモルタル塗りでなく土壁を塗ったものであったため、雨漏りにより土壁が完全に濡れてしまい、そこに強風が当たる南側の壁が次々と崩れ落ち、風が家の中まで吹き込むようになってしまった。
  • このままにしておくと、吹き込む風で屋根が飛ばされる恐れがあり、家中にある板切れを打ち付ける応急処置をしたが、台風通過後に知ったけど近所で屋根が飛ばされた家が結構あったので、この処置で何を逃れたと思われる。
  • 家の前には川幅100m程の河川があるが、我家から1km程上流に掛かっていた木造の橋が流され、近くの鉄道の橋脚に激突。その経験したことのない異様な音が恐怖感を増大させた。
  • 台風が通過し風雨が弱まっても川の水位がドンドン上昇し氾濫の恐れがでてきたため、消防団が頻繁に土嚢を積む作業を行ていたが、氾濫一歩手前で水位が低下し始め一安心した。
  • 台風が去り晴れ間が出てくると、近隣が一斉に後かたずけを始めたが、当時は濡れた畳を廃棄するようなことはせず、太陽干しして再利用しなければならない状況であった。
  • この畳が完全に乾燥していなかったと思われ、後日ノミが発生する原因となり、見つけてはつぶすのと殺虫剤の噴霧の繰り返しが結構続いた。
  • 今まで見たことのない自衛隊のヘリコプターが頻繁に飛びかった。
  • 全国各地から救援物資が届き、当地域には各家庭で使わなくなった衣類を復興援助として出されたものが配られた。しかし当時の日本は経済的にまだ貧しく、穴が開いても当て布して着ていた時代であり、各家庭から出た不用品(廃棄するような代物)が援助物資として配られたためヒンシュクを買った。
  • その後、瓦・壁など家族総出で改修することとなった。しかし風圧で柱が少し傾いてしまい、戸締りが悪くなったしまったが、素人ではどうしようもなく業者に頼む余裕もないことから、このまま使用せざるを得ない状況であった。
現在、台風11号は四国を抜け瀬戸内海にあるようですが、台風の被害はマスコミで報道される以上に大変なことがあります。
少しでも被害に会われる方がないよう祈るばかりです。

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