2014年6月8日日曜日

奈良・薬師寺を描く

1998年に古都奈良の文化財として薬師寺がユネスコの世界遺産リストに登録されました。
薬師寺には薬師三尊像や東塔を始めとする多くの国宝や重要文化財などが多数保存されています。

薬師寺には毎年初詣に行きます。

私が若かった頃にもよく行きましたが、その頃は今と違ってもっと質素で落ち着いた印象でした。
それもその筈、代表的な建物である金堂と西塔は享禄元年(1528)に、この地域の豪族の戦火に巻きこまれ、焼け落ちてしまいました。その後豊臣家が金堂の仮堂を建てましたが、本格的な金堂の再建に取りかかる前に豊臣家が滅亡するなどの事情で仮堂のままの状態だったそうです。

しかし、この頃から僧侶が修学旅行生向けに説明する話術が巧みで、
聴衆の心をうまく掴んでいたことを記憶しています。
勿論私も一緒になって聞いていましたが。
そして、高田 好胤(たかだ こういん)氏が管主に就任すると、百万巻写経の勧進を行ったことで、その資金で西塔や金堂が再建され、見違えるように生まれ変わったのです。

(水彩画、F4サイズ)

この薬師寺の西南西の方角に大池という名前通りの池があり、この大池越しの薬師寺と遠景に若草山を望む景観が美しく、多くのカメラマンが撮影スポットとして訪れているところです。
私も、このスポットから以前スケッチしましたので紹介します。

左の建物が金堂で、中央が色鮮やかな西塔です。右端は薬師寺で唯一創建当時より現存している東塔で、1300年の悠久の時を重ねてきましたが、現在解体修理を行っており、その姿を拝むことは出来ません。

また東塔は一見六重に見えますが実は三重の塔です。三重の各層に裳階(もこし)と言われる小さい屋根があるためで、この大小の屋根の重なる造形美が内外の建築家や美術関係者から高く評価されています。

(2014.8.17追記)

  • “ ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらのくも ; 佐々木信綱 ”と詠まれた東塔は、相輪の上に4面に分かれた水煙が素晴らしく、その中に天空を舞う天女が24人透かし彫りになっており、花籠を持ったものや笛を吹いたものなどがあり、“凍れる音楽”と呼ばれています。
    近くではっきり見たい方は東院堂で模作品を見ることができます。
  • 西塔は1528年に兵火で焼失したため、1980年(昭和55年)再建されたもので、長年を経過した東塔と違って鮮やかに彩色されています。

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