2014年6月24日火曜日

奈良・斑鳩(いかるが)の法隆寺

『 柿くえば 鐘がなるなり 法隆寺 』

正岡子規が詠んだこの俳句をご存じの方は多いと思います。
また、聖徳太子ゆかりの寺でもあります。
珍しい地名の斑鳩(いかるが)はイカルという鳥の名前から来ていると言われています。

この法隆寺には概ね金堂や五重塔を中心とした西院伽藍と夢殿を中心とした東院伽藍があり、現存する木造建築としては世界最古と言われ、1993年に世界文化遺産に指定されました。

ここの五重塔は、各重の大きさが下に行くほど大きくなっているのが特徴で、加えて年代を重ねた木造の質感と合わさって、どっしりとした印象が感じられます。

また、飛鳥・奈良時代の仏像や仏教工芸品などの多くの文化財もあり、西ノ京の薬師寺から南西の方に10km程の位置にあることから、神社・仏閣に興味のある方や修学旅行生が周遊観光する姿が多く見られます。

私も何度かここへ来ました。そして、薬師寺の西塔・東塔とは違った趣を持つ法隆寺の五重塔を描いてみることにしました。


(西院の南西の方角から描きました;水彩画、F4サイズ)

(追記1)
冒頭に、松岡子規の俳句を紹介しましたが、この句は法隆寺で読んだ句ではなく、子規が東大寺近くの宿に泊まり、そこで出された御所柿(富有柿かも)を食べている時に、東大寺の鐘の音を聞いたことを、翌日訪れた法隆寺で聞いたことに置き換えて詠んだものとの説が有力です。

ちなみに、我が家では大晦日になると、あちらこちらから鐘の音が聞こえてきます。
ここで一句できれば風流ですが、私の場合例年眠気が優先し「もう寝なくちゃ・・・」となってしまうのが実態です。

(追記2)
法隆寺は正しくは法隆寺学問所または斑鳩寺といいます。
6世紀の大和国家は蘇我氏の勢力が強く、豪族の反乱が起きたりして朝廷の力が落ちてきた。この様な状況下で聖徳太子は摂政となり、天皇の力を強め中央集権国家を作ろうとした。
そして、豪族の力が強い飛鳥の地を離れ、斑鳩の地に斑鳩宮を建て新しい政治の形を整えようとした。
特に聖徳太子は仏教の力で天皇を中心とした強い統一国家を目指し、7世紀の初めに法隆寺などを建立した。

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